誰もが表現者である。
どっしり構えて逃さなかった一瞬、慌てふためいて切り取った一瞬。
気分がよかった日の鼻歌、何十日も練習した歌声。
美術の授業、ノートの落書き。
そのすべてに心を揺さぶる何かがあって、自分なりのかたちで、
誰かに、あるいは自分自身に届けようとする。
私たちは、それを表現と呼ぶのだと思います。
表現は、特別な才能を持った人にだけ許されるものではなく、
心の奥底から溢れ出す好奇心によって創られるもの。
心が動く瞬間も、満たされる基準も、人の数だけあるのだから。
私たちは、生まれながらの表現者です。
幸せを、無駄遣いできるまち。
声が枯れるまで応援しちゃう、子どものサッカー。
結局使わないのに、つい集めてしまうもの。
仕事帰りに寄り道して、一杯だけ。
私たちは、そんな「幸せの無駄遣い」こそが、人生を満たしてくれるのだと信じています。
けれども、「好きか嫌いか」の軸で
物事を選んできた私たちの頭の中には、
いつしか「合理的か否か」という別の軸が交錯するようになりました。
そのおかげで暮らしの利便性は向上しましたが、
同時に好奇心を覆い隠してしまうことも増えました。
「好きだけど、合理的じゃないから」。
でも好きに理由なんていらない。
意味なんて本人が決めればいい。
ぎゅうっと小さくなってしまった声が、
あちこちで形になって、まちを少しずつ彩っていく。
私たちが見たいのは、そんな風景です。
あなたとともに表現を深め、わたしたちも表現者であり続ける。
「活動をうまく言葉にできない」という方がいたら、
取材に赴き、想いに触れ、その物語を紐解きます。
「知ってもらえるきっかけを増やしたい」という方がいたら、
営みを知り、魅力を引き出し、伝える場所をつくります。
「思い出をかたちに残したい」という方がいたら、
その瞬間に立ち会い、記録し、明日との結び目を残します。
そして時には、私たち自身が動き出してしまうこともあります。
歌を届けたくて、「おもしろそう!」を形にしたくて、幸せを無駄遣いしたくて。
待ちぼうけして、自分の「好き」に蓋をしてしまわないように。
あなたとともに表現を深めることと同じくらい、
私たち自身が、ひとりの表現者であり続けることを大切にしたいのです。
- チャレンジに寛容であること。
- ちがいを大切にすること。
- 探究心を失わないこと。
- なければつくり、足りなければ分け合うこと。
- 好きな自分でいること。